人目が気になりすぎて落ち込んでいても全部自分が原因だったって話

   

こんにちは。

 

最近しぼんでました。鈴木です。

 

何もかも中途半端と思われているのではないかという悩み

 私には、最近なかなか消えない悩みがありました。カンボジアから帰ってきて3週間がたちますが、実は2ヶ月でカンボジアから帰ってきたことを気にしていました。というか、今でも気にしてます。

 

実際は、帰ってくるときは気にしてなかったんです。私は2年住んでいるうちに、何か自分でやれることを見つけられるだろうと思い、とりあえず働こうとカンボジアに行ったのですが、せっかくカンボジアに来たのにとりあえず働こうはしっくりこない、自分でやれるようになろう、静岡とカンボジアを往復できるパラレルワークができるようになろう!と決めて帰ってきました。

 

なので、私的には2年経ってから決めようと思ってたことを、2ヶ月で決めて帰れたとプラスに考えていました。静岡に行ってからも、牧之原市で何かできることはないかと考えよう!行動しよう!と意気込んで元気に帰りました。

 

人目を気にしなくなったと思っても気になってしまう人目

 カンボジアでは人目を気にしなくなったことが、自分の成長の一つだと成長できたことを喜んでいました。というか実際は、ゲストハウス以外では日本語が通じる場所を避けてたので、あまり人目が気になる場所にはいなかったです。日本語が聞こえない場所というのは、いろいろな人のうわさ話を避けることができるんです。

 

誰かが誰かのうわさ話をしているところを聞くと、どうにも私も言われているんだろうなという感覚に陥ることがあります。

 

それが今では避けられないんです。他の人の悪口しか言わない友達、おばさんなどの集団。私が2ヶ月で帰ったことを周りに知られたくない母親。だれがどの会社で働いたからえらいだの、どの大学に入ったからすごいだの。

 

 ぶっちゃけすごいどうでもいいんですよ。他人の噂話とか悪口とかって。喋ってる本人は、口先だけで物事喋ってるから、何喋ったかなんて覚えてないんです。気にするだけ時間の無駄だとわかっていても、気にしてしまう自分がいるんです。

 

方向転換という更なる追い打ち

そして、私は今がっつり方向転換することを決めてます。カンボジアと静岡を移動できるようなパラレルワークをする!と決めて帰ってきましたが、私は今、一旦カンボジアは横において、牧之原市を主としてやっていこうと決めています。

 

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 この『Rich・Schefren』(リッチ・シェフレン)を読んでから、移動生活を叶えることができたとしても、それは個人的に移動生活ができるようになったということでしかないと思うようになりました。個人で移動しているというだけでは、自分が選んだ地域でなにかを達成したということにはならず、社会貢献はできないということです。

 

それを考えたときに、帰ってくる場所は静岡県と決めているので、まず静岡で自分の力をつけていかなければならないと思うようになりました。カンボジアは、静岡でやることの延長線上として何かできることを考えようと。

 

しかし、そうなると私はまた2ヶ月で帰ってきて、またすぐに方向転換をしたことになります。そう思うと、またこいつ言っていること違うと思われる、すぐやりたいことがころころ変わると思われると更に気にするようになりました。

 

祖母からの「平凡に生まれてくればよかったのにね」よかったのにという言葉

 

静岡で何をやろうと考えているかと言うと、牧之原市を多くの人に知ってもらい、多くの人に訪れてもらえるようにしたいということです。いわば、牧之原市の観光化です。

 

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いかに、何もないという田舎を田舎の良さ、田舎の魅力に変えていくかということです。AIの時代にもなっていきますし、リモートワークも多少推奨されていく時代になっていくと思います。田舎でなにかを始めるには、もってこいの時期だと思うのです。多くの人がまた農業に目を向ける時代になっていくのではないかと思ってます。

 

そんな私は、空いている畑を探していました。ので、母方の実家に行って空いている畑がないかを聞きにいったのですが、祖母からのお言葉は、「早く安定した職についたほうがよい」というお言葉でした。何かを挑戦しようとすることはやめて、もっと人目を気にして普通の人のように生きてほしいということです。そして、「農業なんかやったら、ほかの人に馬鹿にされる」と。

 

もちろん、心配してるからこその言葉なんでしょうけどね。なんでそんなに人目を気にしなきゃいけないのか、と。

 

結局私は環境や他人のせいにしてるだけなんだってこと

途中まで書いてて、気が付きました。うわさ話を避けられた場所から、避けられない場所になってしまったことを書いたあたりからです。

 

以前、移転前のブログで、言い訳をしない生き方をしたいということを書きました。

 

nenemaru0217.blog

 すべてにおいて、言い訳をしないということです。自分が決めたことに対しての原因は全て自分にあると。静岡で生きていくと決めたのも私。実家にいること、地元にいることを決めたのも私。そこでつらいことがあったとしても、それは全て決めた私の責任。だれの責任でもなければ、他人も環境も責めることはできないということです。

 

結局私は、環境のせいや他人のせいにした言葉を書いてしまってただけなんでしょうね。この記事。自分がころころと方向転換してしまい、誰かからくそやろうだなと思われても、それは自分が方向転換をした結果。人目が気になるなら、人目が気にならない方法を考える。

 

 自分が落ち込んでいる原因を他人のせいにはしない。自分で決めたことの結果なら、自分で解決策を探していけということなのだと思います。

 

 

まあ実際人目気になっちゃうんですけどね。どこかで慣れたいです。

 

そして、ばあばちゃん文句言ってごめんなさい。ばあばちゃんが心配しないくらいの結果だせるように頑張ります。

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