自分を好きになる

女の子らしくできない。女の子らしさに悩む女子に勧めるThe House on Mango Street

 

自分は女の子らしくない….

女の子らしく生きている子を見て、悩んだことありませんか?

 

顔も可愛くて、言葉も行動も可愛ければ仕草も可愛い。いつでも彼氏が絶えずできて、みんなの会話の中心にはいつもあの子がいる。

 

ああ、なれなたらいいな。でも、自分は女の子らしい人間ではないから、そんなことできない…と。

 

そんな方に私は、オススメしたい文学作品があります。

それがアメリカ文学『The House on Mango Street』です!

 

そもそも女の子らしいってどういう状態?

 

改めて、女の子らしさとはどんなものか?定義を見直してみましょう。

いろいろな女の子らしさが存在しますが、基本的には「清楚・可愛い・優しい・守りたくなる」が女の子らしさを象徴する要素だと思います。

逆にいうと「ゴリラ・がさつ・強い・一人でも何でもできる」は女の子らしさとは遠い人となります。

 

なぜ私たちは女の子らしさに悩まされるのか?

 

なぜ私たちは、女の子らしさで悩まされてきたのでしょうか?

ずばり、女の子らしさで悩む理由は異性に好かれるためです。しかし、異性に好かれる以前に、その裏に隠された心理みたいなものが存在します。

それが

  • 結婚することで幸せになれるという考え (= 結婚しなければ幸せになれない)
  • 女の子は誰かに守ってもらって初めて幸せになれるという考え
  • 女の子は若くて可愛いうちでしか,相手にしてもらえないという考え

です。

ドラマ・映画・アニメなどの影響で私たちは子供のときから、「誰かに幸せにしてもらわないと幸せになれない」ことをひしひしと感じていたのです。

 

私が勧めるアメリカ文学The House on mango streetとは

この本の著書と著者について

 

The House on Mango streetは、1984年メキシコ系アメリカ人(ラティーノ・ヒスパニックと呼ばれる人達です)のサンドラ・シスネロスによって書かれた児童向けの文学作品です。

この時代背景として、アメリカンドリームを求めプエルトリコやメキシコから多くの人が、アメリカへと移り住んだ背景があります。

シスネロスは、このアメリカへと移住をした両親からシカゴで生まれた子供であり、移民2世と呼ばれる存在です。

この物語の主人公であるエスペランザは、シスネロスの子供のときを描写していると言われています。

 

この物語の背景

 

この物語からは、移民2世が子供ながらに感じる人種の違いや身丈の違い、性別の違いを読み取ることができます。

「知らない人たち(Those Who Don’t)」の章では、どこからか来た人が自分の街を訪れるとき、刃物で刺されるのではないかとびくびくしながら歩く様子が映し出されています。

また、アメリカンドリームを求めやってくる両親ですから、到底金持ちとは言えず、エスペランザは自分のみすぼらしさによく悩まされます。

性別についてはこの後に触れていきますが、男社会に生きる女達の状況を、エスペランザの目線より語られています。

 

主人公エスペランザの生き方

気の強いエスペランザが悩んでいた自分自身へのコンプレックス

 

エスペランザには小さい頃から抱えているコンプレックスがあります。それは家が汚くてみすぼらしい点です。

ルーミスの家に住んでいた頃、学校のシスターに「あそこに住んでいるの、、、?」と言われたことをきっかけに、エスペランザは自分の家、きちんとした家を持つことを心に誓います。

そのいい方を聞いていると、まるでじぶんがクズになったような気がした。

『マンゴー通り、ときどきさよなら』サンドラ・シスネロス(訳くぼたのぞみ)

 

自分自身のもつコンプレックスに傷つきつつも、絶対にその状況を抜け出すことを誓う、そんな強い子がエスペランザという少女です。

 

ラティーノの女達

 

この物語には、エスペランザが今までに出会ったきた多くの女性たちが描写されています。

毎晩、街灯の下で結婚してくれる人を待つマリン、(とても美人なので)外へ出ないようにと夫に家の中へ閉じ込められるラフェエラ、厳格な宗教を信仰する父親から離れたいサリー。

それぞれ置かれている状況は違えども、彼女達に共通するのは「自分の運命を変えてくれる人を待つ」という点です。

 

サリーはエスペランザが大好きな友達でしたが、若いうちに結婚をします。それをエスペランザは暴力を振るう父親から逃げるためと言ってますが、結局、結婚した先でも夫がかんしゃくを起こしたり、美人なサリーが外へ出ないようにと家の中に閉じ込め、サリーはそれに従って生きます。

 

そんな彼女達を反面教師として、エスペランザは自分の道を生きることを決るのです。

 

美しくて残酷で(Beautiful & Cruel)

 

私が好きな章があります。それが「美しくて残酷で(Beautiful & Cruel)」の章です。

自分の見てくれのよくなさを認めつつ、自分はラティーノの女たちのように大人しく生きないことを誓っている章でもあります。

大きくなったら、おまえの灰色がかった髪もちゃんと落ち着いて、ブラウスもいつもきれいにしていられるようになるわよ、と母さんはいうけど、わたしは大きくなっても、ほかの子たちみたいにおとなしくなんかならない。そう心に決めたんだ。

『マンゴー通り、ときどきさよなら』サンドラ・シスネロス(訳くぼたのぞみ)

 

また、女として生きることを否定しているのではなく、女として強く生きることを描写している下記の部分が私は好きです。

映画にはかならず、赤い赤い唇をした、美しくて残酷な女がひとり出てくる。彼女は男たちの心を狂わせておいて、どの男もみんな笑いとばす。彼女のパワーは彼女のもの。それを手放したりはしない。

『マンゴー通り、ときどきさよなら』サンドラ・シスネロス(訳くぼたのぞみ)

 

彼女の強さの魅力を最大限引き出している、この部分が私は大好きなのです。

 

エスペランザは女の子らしさの背景をものともせず、強く生きることを選択する

 

エスペランザはこの物語で、いつかマンゴー通りを出ていくことを心に決めています。

私たちにも共通する部分であると思うのですが、この時代の女性の生き方として、結婚する・女の子らしく生きるというのが、”常識”だったと思います。

少女の目線で描かれているので、その”常識”の強さを忘れがちですが、”常識”から外れるというのはものすごくエネルギーを使うことですよね。

その“常識”にとらわれず、自分の道を強く生きようとするエスペランザに、私は心が動かされたのです。

 

補足にはなりますが、この物語の最後の部分も心にぐっとくる一節でありました。

みんなにはわからないだろううな。わたしは帰ってくるために出ていったことが。わたしがあとに残してきた人たちの代わりだということが。出ていけない人たちの代わりなんだということが。

『マンゴー通り、ときどきさよなら』サンドラ・シスネロス(訳くぼたのぞみ)

 

エスペランザから学ぶべき、女性としての強さとは

 

彼女から感じることのできる強さというのは、”女の子として待つだけでは自分の運命を変えることができない“という点なのではないかと思います。

私はどちらかというと、わけもわからず、女の子らしく生きたいなあとも、早く結婚したいなあとも思っていた人間でした。

 

他人は自分の人生を変えてはくれないし、自分の道は自分で決めなければいけない。

「自分の人生は自分で良くしていこうよ」これを忘れてはいけないだと、この物語より強く思います。

 

おわりに

 

The House on mango streetは英文の書物だけでなく、〇〇さんより日本語翻訳された書物も存在します。

英語が苦手な方は日本語翻訳の本を読んでみてください。

児童文学向けの詩のような絵本のような本なので、表現は少し難しい方法が使われておりますが、英語でも比較的簡単に読むこともできます。

英語の勉強にもなりますので、興味のある方はこちらより購入してみてください↓